京都・奈良 社寺仏閣巡り 36 休ヶ岡八幡宮~薬師寺境内 その1 [旅行]

京都、奈良社寺仏閣巡りも遂に36回目。今日も超有名な寺院さんをご紹介します。

駐車場に停めて、最初に目に飛び込んでくるのが
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自販機の行列、凄い数でした。
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長く続く参道を抜けて行くと
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国の重要文化財:休ケ岡八幡宮
南大門を出た南に薬師寺を守護する休ケ岡八幡宮があります。寛平年間(889~898)に大分県宇佐から現在地に勧請されました。現在の社殿は慶長8年(1603)の建物です。社殿は全体に西面し、本殿・脇殿とも小高い石積みの壇上に建っています。社殿の西、前庭の西側にある座小屋は修復が多いものの、社殿とほぼ同じ時期の建物で、中世に始まった宮座が受け継がれている貴重な歴史文化遺産とされているそうです。
しかし、誰もいないひっそりとした神社でした。

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ここから先が
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世界文化遺産:薬師寺

奈良県奈良市西ノ京町に所在する寺院であり、興福寺とともに法相宗の大本山であります。
南都七大寺のひとつに数えられる。本尊は薬師如来、開基は天武天皇、道昭、義淵であり、1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されています。

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創建

『日本書紀』天武天皇9年(680年)11月12日条には、天武天皇が後の持統天皇である鵜野讃良(うののさらら)皇后の病気平癒を祈願して薬師寺の建立を発願し、百僧を得度(出家)させたとある。薬師寺東塔の屋上にある相輪支柱に刻まれた「東塔檫銘」(とうとうさつめい、「さつ」は木扁に「察」)にも同趣旨の記述がある。しかし、天武天皇は寺の完成を見ずに朱鳥元年(686年)没し、伽藍整備は持統天皇、文武天皇の代に引き継がれた。
「東塔檫銘」には、「清原宮に天の下を統治した天皇(天武)の即位八年、庚辰の歳、中宮(後の持統天皇)の病気のため、この伽藍を創り始めたが、完成しないうちに崩御したので、その意志を継いで、太上天皇(持統)が完成したものである」という意味のことが記されている。ここでいう「天皇即位八年、庚辰之歳」は、『書紀』の「天武天皇9年」と同じ年を指している。すなわち、『書紀』は天智天皇の没した翌年(壬申年、西暦672年にあたる)を天武天皇元年とするが、天武が正式に即位したのはその翌年(西暦673年にあたる)であり、「天皇即位八年」とは即位の年から数えて8年目という意味である。
持統天皇2年(688年)、薬師寺にて無遮大会(むしゃだいえ)という行事が行われたことが『書紀』に見え、この頃までにはある程度伽藍が整っていたものと思われる。『続日本紀』によれば、文武天皇2年(698年)には寺の造営がほぼ完成し、僧を住まわせている。この創建薬師寺は、藤原京の右京八条三坊の地にあった。大和三山の畝傍山と香久山の中間にあたる橿原市城殿町に寺跡が残り、「本薬師寺(もとやくしじ)跡」として特別史跡に指定されている。

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仁王門を潜っていよいよ中へと・・・

SURF&SNOW in Naeba vo.34 【スペースバレンタイン】 参加。ネタばれ注意!! [松任谷由実]

先週の木曜日、あの大雪になる前日に新潟の苗場スキー場へ行って来ました。
目的は勿論あれ!
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まずは東京駅で駅弁を購入。僕は待ち合わせに食事を済ませて集合したので食べてませんが、姉に聞く限りまずまずなお味だったようです。
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越後湯沢駅まで新幹線で行き、越後湯沢駅からは路線バスに乗り換えて、苗場スキー場前で下車。
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目の前には
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苗場スキー場と苗場プリンスホテル。

ホテルは満室で取れなかったので、近くのホテルに。
身支度をして、再度苗場プリンスホテルに送迎バスでGO。

そう、目的は
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ユーミンの苗場でのライブに参加する為。
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僕は2年ぶりの参加。姉はファン歴40年で初参加。

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ライブのグッズも可愛いものばかりでした。

で、いよいよ開場入りです。
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ここから先、超ネタばれ注意して下さいね。


京都・奈良 社寺仏閣巡り 35 中宮寺 [旅行]

今日ご紹介する寺院さんは由緒ある寺院さんなんですけど、ご紹介出来る写真はちょこっとしなかいので(^^)
東院伽羅に隣接する寺院。

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中宮寺(ちゅうぐうじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町の法隆寺に隣接する、聖徳太子ゆかりの寺院だそうです。
宗派は聖徳宗に属し山号を法興山と称し、本尊は如意輪観音、開基は聖徳太子または間人皇后とされている寺院。

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国宝

木造菩薩半跏像
本尊。飛鳥時代の作。
像高132.0cm(左脚を除く坐高は87.0cm)。広隆寺の弥勒菩薩半跏像とよく比較される。寺伝では如意輪観音だが、これは平安時代以降の名称で、当初は弥勒菩薩像として造立されたものと思われる。国宝指定の際の官報告示は単に「木造菩薩半跏像」である。材質はクスノキ材。一木造ではなく、頭部は前後2材、胴体の主要部は1材とし、これに両脚部を含む1材、台座の大部分を形成する1材などを矧ぎ合わせ、他にも小材を各所に挟む。両脚部材と台座部材は矧ぎ目を階段状に造るなど、特異な木寄せを行っている。本像の文献上の初出は建治元年(1275年)、定円の『太子曼荼羅講式』で、同書に「本尊救世観音」とあるのが本像にあたると考えられている。それ以前の伝来は不明である。現状は全身が黒ずんでいるが、足の裏などにわずかに残る痕跡から、当初は彩色され、別製の装身具を付けていたと思われる。

天寿国繍帳残闕(てんじゅこくしゅうちょう ざんけつ)
染織品は、陶磁器、金属製品などに比べて保存がむずかしい。本品は断片とはいえ、飛鳥時代の染織の遺品としてきわめて貴重なもの。現在、奈良国立博物館に寄託。1982年に製作されたレプリカが現在本堂に安置されている。聖徳太子の母、穴穂部間人皇女と聖徳太子の死去を悼んで王妃橘大女郎が多くの采女らとともに造った刺繍、曼荼羅である。もと2帳。その銘は『上宮聖徳法王帝説』にある。詳細は別項「天寿国繍帳」を参照。

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重要文化財

紙製文殊菩薩立像-鎌倉時代の作。経巻を芯とし、紙を糊で張り重ねて造像した珍しい仏像で、日本の重要文化財指定の彫刻のうち「紙製」はこの像のみである[5]。像内納入文書から、文永6年(1269年)の作とわかり、同文書にある「信□」は、中宮寺中興の祖である信如と推定される。東京国立博物館に寄託。
紙本墨書瑜伽師地論 二巻-奈良時代の作。

その他
刺繍阿弥陀三尊来迎像-鎌倉時代の作。
木彫雨宝童子立像-鎌倉時代の作。
表御殿 - 江戸時代後期建立の書院造。登録有形文化財。

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次回はこれまた大規模な寺院になります。もちろん世界文化遺産登録のあの寺院です。


SURF&SNOW in Naeba vo.34へGO。 [松任谷由実]

今日は午前中仕事をして、午後はお休みを頂き苗場まで(^^)
目的は、ユーミンの毎年恒例のライブ【SURF&SNOW in Naeba vo.34】に参加するため。

僕は2年ぶり6回目の参加なのですが、姉は初参加。
ファン歴25年の僕と違い、姉はファン歴40年というユーミンのデビュー当初からのファンなんです。
仕事上、どうしても2月は休めないのですが、今年は僕が半強制的に休ませました。
飛行機のチケットと新幹線のチケットを取りました。

姉は初めなんで、あの苗場のステージの近さを見たら感動するでしょう。しかも、席が前から1桁台なんです。
感動してくれるでしょう。
午後1時に東京駅で待ち合わせなんだけど、どんな移動になることやら。

苗場が終わると、次は現在進行中の全国ツアー【POP CLASSICO ツアー】の福岡公演に参加。
今度は僕が福岡へ行く番。

ユーミンの全国ライブイヤーは毎回同じ事を繰り返しています。
東京、神奈川、それに九州でチケットがゲット出来れば、参加する事にしています。
今のところ、まだ東京公演と福岡公演しかゲット出来ていないのですが、これから6月の宮崎公演と福岡公演が発表されるので、それをゲットしたいと(^^)

では、では、今日のライブの模様はまた後日ご紹介します(^^)



京都・奈良 社寺仏閣巡り 34 法隆寺 その3 [旅行]

法隆寺も3回目。

今日は西院伽羅から東院伽羅に場所を移します。

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東院伽藍
聖徳太子一族の住居であった斑鳩宮の跡に建立された寺院で、『法隆寺東院縁起』によると、天平11年(739年)、斑鳩宮が荒廃しているのを見て嘆いた僧行信の創建である。
回廊で囲まれた中に八角円堂の夢殿が建ち、回廊南面には礼堂、北面には絵殿及び舎利殿があり、絵殿及び舎利殿の北に接して伝法堂が建つ。

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国宝:夢殿
奈良時代の建立の八角円堂。堂内に聖徳太子の等身像とされる救世観音像が安置してあります。
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重要文化財:絵殿及び舎利殿
鎌倉時代の建立。
絵殿には、摂津国(現在の大阪府)の絵師である秦致貞(はたのちてい、はたのむねさだ)が延久元年(1069年)に描いた「聖徳太子絵伝」の障子絵(国宝)が飾られていた。太子の生涯を描いた最古の作品であるが、明治11年(1878年)、当時の皇室に献上され、現在は「法隆寺献納宝物」として東京国立博物館の所蔵となっている。絵殿には江戸時代に描かれた「聖徳太子絵伝」が代わりに飾られている。

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この規模の寺院を目の当たりにすると、京都奈良には本当に昔、煌びやかな都があったんだなぁと実感出来ます。法隆寺はずっと行きたかった場所でしたので、拝観して本当に良かったお寺さんでした。

次回は、この法隆寺に隣接する中宮寺に伺います。



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