京都・奈良 社寺仏閣巡り 40 興福寺 [旅行]

遂に今回で京都、奈良 社寺仏閣巡りも40回目。
奈良市内に戻って、元興寺の次に向かったのが・・・

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世界文化遺産:興福寺
興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある、南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院である。南都七大寺の一つに数えられる。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。南円堂は西国三十三所第9番札所である。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されています。

ここで、ハプニングが!!!!
なんと拝観時間が残り30分を切っていました。
30分で、東金堂と御朱印と国宝館廻らなくてはいけない事に!!

先ずは御朱印から!

ここで、突発的な問題が!!
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何と、平成30年に落慶予定の中金堂の瓦を奉納出来るのだとか・・・。
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世界文化遺産に自分の名前が!!
一気に書くことに。しかも墨で・・・下手な字を奉納させてもらいました(^^)
で、次は東金堂の中へ。
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国宝:東金堂(写真左)
神亀3年(726年)、聖武天皇が伯母にあたる元正天皇の病気平癒を祈願し、薬師三尊を安置する堂として創建した。治承4年(1180年)の兵火による焼失後、文治3年(1187年)、興福寺の僧兵は飛鳥の山田寺(現・奈良県桜井市)講堂本尊の薬師三尊像を強奪してきて、東金堂本尊に据えた。東金堂はその後応永18年(1411年)に五重塔とともに焼け、現在の建物は応永22年(1415年)の再建の室町時代の建築である。様式は、唐招提寺金堂を参考にした天平様式。平面規模は、創建時の堂に準じている。堂内には以下の諸仏を安置していました。
国宝:五重塔
天平2年(730年)、光明皇后の発願で創建された。現存の塔は応永33年(1426年)頃の再建である。高さ50.1メートルで、木造塔としては東寺五重塔に次ぎ、日本で2番目に高いそうです。

で、その足で走って
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国宝館へ。
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国宝館は旧・食堂(じきどう)の跡地に建てられた文化財収蔵・展示施設で、1959年に完成した。
鉄筋コンクリート造だが、外観は旧・食堂を模した寺院建築風である。食堂は1874年(明治7年)、廃仏毀釈のあおりで興福寺が荒廃していた時代に取り壊されている。内部にはもと食堂本尊の千手観音の巨像(高さ5.2メートル)が中央に安置され、仏像をはじめとする多くの寺宝が展示されている。2010年3月にリニューアルオープンし、従前に比べ展示点数が増えたほか、文化財に与える悪影響が少ないLED照明が採用されたことにより、多くの仏像がガラスケースなしで見られるようになった。現館長は金子啓明。
乾漆八部衆立像(国宝)-奈良時代の作。もと西金堂本尊釈迦如来像の周囲に安置されていた群像の1つ。五部浄、沙羯羅(さから、しゃがら)、鳩槃荼、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、畢婆迦羅(ひばから)の8体が揃って現存するが、五部浄像は大破して胸から下の体部が失われている。中でも三面六臂(手が6本)の阿修羅像が著名である。
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乾漆十大弟子立像(国宝)-奈良時代の作。八部衆像とともに、西金堂本尊釈迦如来像の周囲に安置されていた群像の1つである。当然ながら制作当初は10体の群像であったが、4体は明治時代に寺外へ流出し、舎利弗、目犍連(もくけんれん)、伝須菩提、富楼那、迦旃延、伝羅睺羅の6体のみが寺に現存する。寺外に流出した4体は、明治時代の古写真に写っているが、いずれも破損が激しい。これら4体のうち、大倉集古館旧蔵の1体(伝優波離像)は関東大震災で焼失した。他の3体は以下の所蔵先に現存するが、いずれの像も原形を留めていない。
伝阿難像(個人蔵) - 大破していた像の欠失部分を補って復元したものとされるが、詳細不明。
伝大迦葉像(大阪市立美術館蔵) - 頭部のみ残存。
像名不詳心木(東京藝術大学大学美術館蔵) - 両足先と衣の裾の部分がかろうじて残存する。[注 3]
銅造仏頭(国宝)-白鳳時代の作で、頭部のみ残っているが、白鳳文化を代表する作品。旧山田寺仏頭とも。元来、飛鳥の山田寺(現・奈良県桜井市)講堂本尊薬師三尊像の中尊像の頭部で(前記)、東金堂にあったが、室町時代の火災で頭部だけがかろうじて焼け残った。(この火災により、右耳付近が大きく変形している)。この頭部は新しく作った本尊像の台座内に納められて長らく人目にふれず、1937年(昭和12年)に再発見された。この時には他に、類例の少ない銀製の仏像の腕(重文)も発見されている。
木造仏頭(重文)-廃絶した西金堂の旧本尊・釈迦如来像の頭部。鎌倉時代。頭部のほかに両手の一部、光背を飾っていた飛天像と化仏(小型の仏像)も残っている。従来、運慶の兄弟子・成朝の作とされていたが、近年、興福寺別当(住職)信円の日記の記述から、文治2年(1186年)正月に運慶によって作られたとする説が有力となっている。
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木造金剛力士立像(国宝)-もと西金堂安置。鎌倉時代。定慶作とする説もある。
木造天燈鬼・龍燈鬼立像(国宝)-もと西金堂安置。大きな燈篭を、天燈鬼は肩にかつぎ、龍燈鬼は頭上で支える。架空の存在を写実的かつユーモラスに表現した、鎌倉期彫刻の傑作である。龍燈鬼像は運慶の子息である康弁の建保3年(1215年)の作で、天燈鬼も同人か周辺の仏師の作と思われる。
木造法相六祖坐像(国宝)-運慶の父・康慶一門の作。玄賓、行賀、玄昉、神叡、常騰、善珠という、法相宗の6名の高僧の肖像。南円堂の本尊の周囲に安置されていた。行賀像と神叡像は、奈良国立博物館なら仏像館に寄託。
木造千手観音立像(国宝)-もと食堂(じきどう)本尊。現在は、食堂跡地に建つ国宝館の中央に安置される[注 4]。高さ5.2メートルの巨像で、像内納入品の銘記から鎌倉時代、寛喜元年(1229年)頃の完成と推定される。この千手観音像は記録によると造像開始から完成まで4半世紀の歳月を要した。当初の造像担当者であった成朝は運慶の父康慶の兄弟子にあたり、康慶よりも正当な慶派の後継者であった。しかし成朝は病弱であったため千手観音像の制作途中で亡くなったと推定されている。その後放置されていたものが何らかの理由で制作が再開され、別の仏師の手により完成された。像の部材は制作が中止されている間風雨に晒されていたらしく、内部の木肌は酷く痛んだ状態であった。
板彫十二神将像(国宝)-平安時代11世紀半ばの作。日本では珍しい、檜板に浮き彫りにした仏像で、現在は剥落しているが、もとは彩色されていた。12面完存している。像容は誇張的にデフォルメされており、武神像でありながらどこかユーモラスな雰囲気が漂う。厚さ3cmほどの板に彫られたとは思えないほど立体感と奥行きが感じられ、特に顔や手足の筋肉は微妙な段差と起伏によって巧みに表されており、作者の高い技量を見て取ることが出来る。10世紀末期に活躍した画僧・玄朝(源朝)の図様を元に制作された。江戸期の文献には、この板彫を指すと見られる十二神将像が東金堂にあったという記載があるが、それ以前の伝来については解っていない。十二神将は薬師如来を守護し、仁和寺の薬師如来坐像の台座には十二神将を彫った作例があることから、元々は薬師像の台座側面に貼られていたと推測される。
金銅燈籠(国宝)-南円堂前に立っていた銅製の燈籠で、現在は国宝館に展示されている。平安時代初期の弘仁7年(816年)の銘があり、紀年銘のある燈籠としては日本最古のものである。火袋の文字は当代の書道史の遺品としても貴重。
梵鐘(国宝)-奈良時代、神亀4年(727年)の銘がある。制作年の分かる梵鐘としては、妙心寺鐘(698年)に次いで、日本で二番目に古いそうです。

一気見でしたけど、国宝館は十分に時間をかけて見れました。
凄すぎました!だって、国内の国宝の17%近くがこの国宝館に所蔵されているのですから!!
(※ちなみに仏像の写真は全て奈良公園内に貼られていた写真を撮影したものです)

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国宝

東金堂 
五重塔 
北円堂 
三重塔 
木造文殊菩薩坐像(東金堂) 
木造維摩居士坐像 定慶作(東金堂) 
木造四天王立像(東金堂) 
木造十二神将立像(東金堂) 
木造弥勒仏坐像 運慶作(北円堂) 
木造無著・世親立像 運慶作(北円堂) 
木心乾漆四天王立像(北円堂) 
木造不空羂索観音坐像 康慶作(南円堂) 
木造四天王立像(南円堂) 
乾漆八部衆立像 8躯(国宝館・旧西金堂) 
乾漆十大弟子立像 6躯(国宝館・旧西金堂) 
木造金剛力士立像 2躯(国宝館・旧西金堂) 
木造天燈鬼・龍燈鬼立像(国宝館・旧西金堂) 
木造法相六祖坐像 6躯 康慶作(国宝館・旧南円堂) 
板彫十二神将像(国宝館・旧東金堂) 
銅造仏頭(国宝館・旧東金堂) 
木造千手観音立像(附:像内納入品)(国宝館・旧食堂) 
金銅燈篭 
梵鐘 
華原磬 
日本霊異記上巻 
興福寺金堂鎮壇具 - 1884年(明治17年)に発掘された鎮壇具の大部分は東京国立博物館の所蔵になっている。興福寺所蔵分は銀器、水晶玉など21点。
※ 阿修羅像は「乾漆八部衆立像 8躯」のうちの1躯である。

重要文化財

(建造物)
大湯屋
南円堂

(彫刻)
木造薬王菩薩・薬上菩薩立像(中金堂) 
木造四天王立像(中金堂) 
銅造薬師如来および両脇侍像(東金堂) 
木造阿弥陀如来坐像(菩提院大御堂) 
木造阿弥陀如来坐像(国宝館) 
木造釈迦如来坐像(国宝館) 
木造薬師如来坐像・像内納入品(薬師経)(国宝館) 
木造仏頭(附:仏手2箇)(国宝館・旧西金堂本尊) 
木造飛天・化仏 11躯(飛天8、化仏3)(国宝館・旧西金堂本尊光背付属) 
木造帝釈天立像(国宝館)- 寺では「梵天像」と称している。 
木造梵天・帝釈天立像(国宝館) 
木造地蔵菩薩立像(国宝館) 
厨子入木造弥勒菩薩半跏像(附:像内納入品)(国宝館) - 大乗院持仏堂旧所在 
厨子入木造吉祥天倚像(国宝館) 
銀造仏手(国宝館) 
木造大黒天立像(奈良国立博物館寄託) 
木造広目天立像(奈良国立博物館寄託) - 四天王のうちの1体。残り3体は滋賀・MIHO MUSEUM(持国天)および奈良国立博物館(増長天・多聞天)所蔵。 
木造聖観音立像(弥勒菩薩立像)快円作(本坊持仏堂)
木造釈迦如来立像(1929年盗難) 
(参考)広島県尾道市(生口島)の耕三寺所蔵の木造釈迦如来坐像(1901年重文指定)はもと興福寺にあり、第二次大戦後に耕三寺に移ったものである。

(絵画、書籍ほか)
絹本著色慈恩大師像 
絹本著色慈恩大師像 
絹本著色淄州(ししゅう)大師画像 
絹本著色二天王画像 
護法善神扉絵 12面
細字(さいじ)法華経 
経典釈文断簡 
成唯識論(じょうゆいしきろん)巻十 
講周易疏論家義記断簡 
大慈恩寺三蔵法師伝 10巻 
造興福寺記 
僧綱補任 6巻
紺紙金字成唯識論 9巻 
明本抄 
延暦寺智行高僧伝 
左府抄 3巻 
金剛般若波羅蜜経 
聖徳太子伝暦 4帖 
篳篥譜(ひちりきふ) 
興福寺別当次第 6巻
宋版一切経 4,354帖 
春日版版木 2,778枚

もう下手な博物館より凄いですよ!本当に!

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夕暮れになりライトアップも始まりだした頃、3日目の社寺仏閣巡りも終了です。この日は奈良市内にホテルを取って、翌日は朝から奈良公園内の散策と最終日の社寺仏閣めぐりになります。
3日目の歩行距離は22.6㎞でした。頑張りました。

つづく


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