京都・奈良 社寺仏閣巡り 33 法隆寺 その2 [旅行]

前回のつづき。

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【日本最初の世界遺産:法隆寺】

西院伽羅の続きをご紹介していきます。回廊を出てすぐにある建物が

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国宝:聖霊院
西院伽藍の東側に建つ、聖徳太子を祀る堂。
鎌倉時代の建立でこの建物は本来は東室の一部であったそうです。1121年にこれを再建するときに南半を改造して聖霊院とし、聖徳太子像を祀ったそうです。
現在の聖霊院は1284年に改築されたもので、聖徳太子及び眷属像(平安時代、国宝)、如意輪観音半跏像(重文)、地蔵菩薩立像(重文)が安置されています。
太子の命日の旧暦2月22日を中心に(現在は3月22日~24日)、法隆寺最大の行事であるお会式(おえしき)が行われているそうです。ここで、御朱印を頂きます。
その隣が
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国宝:東室(左)
聖霊院の北に接続して建ち、後世の補修・改造が多いが基本的には奈良時代の建築で、当時の僧坊建築の遺構として貴重であるそうです。
国重要文化財:妻室(右)
東室の東に建つ細長い建物で、同じく僧房である小子房になります。

その横の細い路地を通るとここから先はまた有料になります(先程の拝観チケットが半券になります)が、すぐ右手にある建物が
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国宝:綱封蔵
聖霊院の東に建つ、奈良時代~平安初期に建てられたといわれる寺院の宝庫だったそうです。

で、その先に
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国宝:食堂(左)
国重要文化財:細殿(右)
西院伽藍の東方北寄りに建ち、食堂本尊の薬師如来坐像(重文)は奈良時代の塑像だが補修が多いそうでう。本尊以外の仏像は大宝蔵院に移されています。

で、その先に
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大宝蔵院
百済観音像をはじめとする寺宝を公開していました。百済観音堂および東宝殿、西宝殿からなる建物で1998年(平成10年)完成したそうです。

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その足で
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国宝:東大門
西院から東院へ向かう道筋に建つ、奈良時代の八脚門でした。

ここから先、東院伽羅になります。


京都・奈良 社寺仏閣巡り 32 法隆寺 その1 [旅行]

平城京跡でテンションダウンしたのですが、次のところでテンションアップ!!
次ご紹介するのは
正岡子規だったかなぁ・・・ 【 柿くえば 鐘が鳴る鳴る 法隆寺 】
もうお判りだと思います。

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【日本最初の世界遺産 : 法隆寺】

法隆寺は、奈良県生駒郡斑鳩町にある寺院で、聖徳宗の総本山です。また別名を斑鳩寺(いかるがでら)というそうです。7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設であり、聖徳太子ゆかりの寺院である。創建は金堂薬師如来像光背銘、『上宮聖徳法王帝説』から推古15年(607年)とされています。
金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられる。境内の広さは約18万7千平方メートルで、西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群でもあります。
法隆寺の建築物群は法起寺と共に、1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
建造物以外にも、飛鳥・奈良時代の仏像、仏教工芸品など多数の文化財を有する日本でも屈指のお寺さんです。

では、そんな法隆寺をスペシャル版でご紹介します。

参道から最初に現れるのが
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国宝:南大門
西院伽藍の南方、境内入口に建つ。入母屋造の一重門です。室町時代(1438年)に、当時の西大門を移築し建立したそうで、建築当初は切妻屋根であったそうです。

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その先しばらく歩くと見えて来ます。
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国宝:中門
入母屋造の二重門で、正面は四間二戸、側面は三間の規模。
日本の寺院の門は正面の柱間が奇数(3間、5間、7間等)になるのが一般的らしいのですが、この中門は正面柱間が4間で真中に柱が立つ点が特異の国宝の門だそうです。
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門内の左右に塑造金剛力士立像が安置されていました。
日本最古(8世紀初)の仁王像として貴重なものなのですが、風雨にさらされる場所に安置されているため、補修が甚だしく、吽形(うんぎょう)像の体部は木造の後補に代わっているそうです。門は現在、出入り口としては使用されず、金堂等の拝観者は回廊の西南隅から入るようになっていました。

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これから、この案内図の全てを見て廻りますよ。

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手を荒いお清めして、いよいよ西院伽藍の中に入ります。

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西院伽藍は南大門を入って正面のやや小高くなったところに位置していて、向かって右に金堂、左に五重塔を配し、これらを平面「凸」字形の回廊が囲んでいます。
回廊の南正面に中門(ちゅうもん)を開き、中門の左右から伸びた回廊は北側に建つ大講堂の左右に接して終わっている。

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国宝:金堂
入母屋造の二重仏堂で、桁行五間、梁間四間、二重、初層裳階付。上層には部屋はなく、外観のみ存在します。
二重目の軒を支える四方の龍の彫刻を刻んだ柱は構造を補強するため修理の際に付加されたものであるが、その年代については諸説ある。
金堂の壁画は日本の仏教絵画の代表作として国際的に著名なものであったが、1949年、壁画模写作業中の火災により、初層内陣の壁と柱を焼損したそうです。黒こげになった旧壁画(重文)と柱は現存しており、寺内大宝蔵院東側の収蔵庫に保管されています。なお、解体修理中の火災であったため、初層の裳階(もこし)部分と上層のすべて、それに堂内の諸仏は難をまぬがれたそうで、この火災がきっかけで文化財保護法が制定され、火災のあった1月26日が文化財防火デーになったそうです。
堂内は中の間、東の間、西の間に分かれ、それぞれ釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来が本尊として安置されています。

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国宝:五重塔
木造五重塔として現存世界最古のものです。
初重から五重までの屋根の逓減率(大きさの減少する率)が高いことがこの塔の特色で、初重内陣には東面・西面・南面・北面それぞれに塔本四面具(国宝)と呼ばれる塑造の群像が安置(計80点の塑像が国宝)されています。

これはあまりにも有名ですね。

この二つの国宝の奥に鎮座しているのが
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国宝:大講堂
桁行九間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺き。平安時代の延長3年(925年)に焼失後の、正暦元年(990年)に再建されました。薬師三尊像(平安時代、国宝)と四天王像(重文)が安置されています。
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で、この巨大な3つの国宝を取り囲んでいるのが
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国宝:回廊
金堂などとほぼ同時期の建立。廊下であるとともに、聖域を区切る障壁でもある。ただし、大講堂寄りの折れ曲がり部分より北は平安時代の建立である。当初の回廊は大講堂前で閉じており、大講堂は回廊外にあったそうです。
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で、この有料拝観場所を出て次に向かいますが、それは次回。
ここから、まだまだ国宝と重要文化財がこれでもかって感じで登場します。それにしても、国宝とか重要文化財を見ると何故かワクワクしてきます。

つづく。


京都・奈良 社寺仏閣巡り 31 平城京跡 [旅行]

京都から奈良に向かった最初の目的地がここ。
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ん・・・・何というか、花火に例えると不発に終わった感じ。
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朱雀門は復元ですが、非常に素晴らしいものでした。ただ、ほかに何もない。
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駐車場の廻りはこんな感じで、何もない。
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第1次大極殿なんて、あんなに遠くにあるのですよ。あんなに遠くに・・・。しかもその途中はほとんど田んぼや畑でした。途中踏み切りがありますし・・・。
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まぁ、元々平城宮は奈良の古都平城京の大内裏で、1998年12月、「古都奈良の文化財」として東大寺などと共に世界遺産に登録されたのですが、考古遺跡としては日本初なのだそうです。
他にも施設があったようなのですが兎に角そこまでの便が悪い。ちょいと廻ろうという気にはなりませんでした。

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動かないなんとくんも居ましたけど
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ここには動くなんとくんが。
しかし、けんとくんまでの道のりにはお金を払うという代償が・・・・。
止めました。
何か嫌でしょ、お金を払うとけんとくんに会えますよと。しかも、屋上で外から見える場所に居るのですよ。
なんとも言えない始まりでした。

まぁ、何年後何十年後にはそれなりの施設になるのでしょうね。その頃、また来たいと思います。
気を取り直して、皆さんもご存知のあのお寺に向かいました。




京都・奈良 社寺仏閣巡り 30 仁和寺 その3 [旅行]

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仁和寺。
1827年(文政10年)に、仁和寺第29世門跡であった不壊身院御室・済仁法親王が、四国八十八箇所を巡拝ができない人々のために発願し、仁和寺寺侍・久富遠江守に命じて、四国八十八箇所を巡拝して、各札所の砂を持ち帰らせた。仁和寺境内の成就山に四国八十八箇所を模して、同じ数の88宇の堂を設けて、持ち帰った砂を設けた堂に埋めたことが起源とされていて、成就山に四国八十八箇所霊場を小規模に再現した巡礼地である。
各札所にあたる小規模な堂が約3キロメートルの山道沿いに点在する。88宇の堂には実際の四国八十八箇所の札所の寺院と同じ本尊と弘法大師を祀ってある。成就山八十八ヶ所とも称されているそうなんです。
また、かつては「御室 仁和寺 成就山88ヵ所スタンプハイク」が仁和寺主催で年6回行われていたそうです。

そんな場所には行く余裕なんてなく・・・・。

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この仁王門の二対の金剛力士像はお気に入りです。結構巧く撮れたのではないかと(^^)

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また、仁和寺は映画や時代劇、アニメのロケ地などにもなっているそうです。
仁和寺の桜には特に「御室桜(おむろざくら)」の名が付いている。江戸時代から名高く、貞亨元年の雍州府志には「今御室清水為一双」、享保三年の貝原益軒の京城勝覧には「春は此御境内の奥に八重ざくら多し。洛中洛外にて第一とす」と絶賛されていた。
約200本あり、八重咲き。樹高が低いのは、この地の岩盤が固く、深く根を張れないためという。「花(鼻)が低い」ということから「お多福桜」ともいう。この事から京都では、背が低くて鼻が低い女性のことを「御室の桜のような」と評することがあるという。満開は例年4月20日過ぎと遅く、桜の名所の多い京都で季節の最後を飾る。御室桜は日本さくら名所100選に選定されているくらい有名らしいです。
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巨大な鐘楼、これも国の重要文化財のひとつ。
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これで、仁和寺は終了です。

これで京都奈良の社寺仏閣巡りの前半戦は終了。
ご紹介した記事はちょうど30回。
明日からは、京都から奈良へ舞台を移して、法隆寺、薬師寺、東大寺、興福寺、奈良公園などを巡り、また京都の嵐山などに戻ってきます。

まだまだお付き合い頂けますと幸いです(^^)




京都・奈良 社寺仏閣巡り 52 大覚寺 その3  [旅行]

大覚寺のご紹介も3回目。

1回目に説明しました嵯峨天皇に始まるという華道嵯峨御流が式台玄関入り口に生けてありました。

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どれも躍動感がある感じがしましたが、無頓着な僕には良さが・・・  わかりません(^^)

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御朱印をお願いして直ぐの場所に飾ってありました。

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この幕から覗き見る景色が好きなんです。

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で、この寺院で好きな水墨の襖絵。

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まだまだ続きます(^^)



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