京都・奈良 社寺仏閣巡り 37 薬師寺その2 [旅行]

前回のつづき。

薬師寺の境内は
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【薬師寺式伽藍配置の概念図。A:中門、B:回廊、C:金堂、D:塔、E:講堂、F:鐘楼、G:経蔵】
薬師寺式伽藍配置という配置で、中央に金堂、その手前に中門、背後に講堂を配し、金堂の手前東西に塔を置く境内になっております。伽羅配置は他に、法隆寺式伽藍配置や飛鳥式伽羅配置、四天王寺式伽羅配置があります。
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いよいよです。

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国の重要文化財:薬師寺西塔
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国の重要文化財:金堂

で、一番見たかった国宝:薬師寺東塔はというと
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平成の大修理中でした(^^;)

国宝

銅造薬師三尊像
東塔
東院堂
銅造聖観音立像 - 東院堂本尊。像高約189センチ。金堂薬師三尊像と同じく、飛鳥時代後期(白鳳期) - 奈良時代の金銅仏の代表作の1つである。国宝指定名称は「銅造観音菩薩立像」。
木造僧形八幡神・神功皇后・仲津姫命坐像-平安時代初期の作。いずれも像高30数センチの小品で、薬師寺の鎮守八幡宮の神体として作られたもの。日本の神像彫刻は仏像の影響を受けて作り始められたもので、薬師寺の三神像は日本の神像としては現存最古作の1つである。奈良国立博物館に寄託されている。
麻布著色吉祥天像 - 『金光明最勝王経』所説に基づき、吉祥悔過会(きちじょうけかえ)の本尊として制作されたもので、数少ない奈良時代の絵画遺品として貴重なものである。頭部の背後に光背(後光)があることからこれが仏画であることがわかるが、一見すると奈良時代の美人画のように見える。風になびく着衣の繊細さがよく表現されている。春・秋などに期日を限って、寺内の大宝蔵殿で公開される。
絹本著色慈恩大師像 - 中国法相宗の祖の肖像画。11世紀の作。
仏足石 - 大講堂内にある。礼拝対象としての仏陀(釈迦)の足跡を刻んだ石。側面に長文の銘があり、黄書本実(きぶみのほんじつ)が唐で写し持ち帰った仏足跡を文室真人智努(ぶんやのまひとちぬ)が夫人の追善のために写させたもので、天平勝宝5年(753年)の作と知られる。
仏足跡歌碑 - 大講堂内にあり、仏足石とともに伝来したものだが、元来一具のものであるかどうかは定かでない。高さ194cmの石碑に仏足跡を称える歌など21首の歌を万葉仮名で刻む。ここに刻まれた歌はいずれも通常の和歌より1句多い「五・七・五・七・七・七」の歌体になり、これを「仏足跡歌体」と称する。

重要文化財

南門
八幡神社社殿 3棟
若宮社社殿
板絵著色神像 6面 永仁三年三月尭儼筆 
銅造如来及両脇侍像(大講堂安置)※寺では2003年より本像の呼称を「薬師三尊」から「弥勒三尊」に変更している。
木造十一面観音立像(1897年指定、像高165.5cm)
木造十一面観音立像(1902年指定、像高191.5cm)
木造十一面観音立像(1921年指定、像高180.3cm)
木造地蔵菩薩立像
木造地蔵菩薩立像 善円作作 
木造伝大津皇子坐像
木造四天王立像3躯(附:腕1箇)
木造文殊菩薩坐像
木造弥勒菩薩坐像
木造吉祥天立像
塔本釈迦八相像残欠
東塔塑像心木 160箇
西塔塑像断片 52箇
附:塑像断片一括、木像残欠25箇、土塔1箇、和同開珎残片2箇分、硬玉丸玉1箇
木造光背残欠 
木造狛犬(獅子)一対
銅鐘(梵鐘)
大般若経 33巻
増壱阿含経 巻第五十
大般涅槃経 巻第十六 - 敦煌経、北魏時代
薬師寺枡 3口

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国の重要文化財:大講堂
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で、ひたすら歩いてここまでが白鳳伽羅区域です。ここから先が玄奘三蔵院伽藍になります。

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玄奘三蔵[げんじょうさんぞう](600または602~664)は、『西遊記』で有名な中国唐時代の歴史上の僧侶です。17年間にわたりインドでの勉学を終え、帰国後は持ち帰られた経典の翻訳に専念、その数1335巻に及びます。玄奘三蔵の最も究めたかった事は、「瑜伽唯識[ゆがゆいしき]」の教えでした。その教えの流れを継承している宗派が法相宗[ほっそうしゅう]です。現在、薬師寺と興福寺が法相宗の大本山で、玄奘三蔵は法相宗の始祖に当たります。昭和17年(1942)に南京に駐屯していた日本軍が土中から玄奘三蔵のご頂骨を発見しました。その一部が昭和19年(1944)に全日本仏教会にも分骨されましたが、戦時中でもあり、埼玉県岩槻市の慈恩寺に奉安され、その後ご頂骨を祀る石塔が建てられました。薬師寺も玄奘三蔵と深いご縁のある事から、遺徳を顕彰するため全日本仏教会より昭和56年(1981)にご分骨を拝受し、平成3年(1991)玄奘三蔵院伽藍を建立しました。平成12年(2000)12月31日に平山郁夫画伯が入魂された、玄奘三蔵求法の旅をたどる「大唐西域壁画」は、玄奘塔北側にある大唐西域壁画殿にお祀りしています。

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本当に規模の大きな寺院でした。
次は、この薬師寺から更に奥へと足を運んで唐招提寺に向かいます。


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