青梅観光 ~ 金剛寺 [社寺仏閣]

梅が咲き誇り始める3月に青梅市に観光に行きました。
色々な場所を廻ったので、その幾つかの場所をご紹介します。

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金剛寺
金剛寺は、真言宗豊山派の寺院。山号は青梅山。東国花の寺百ヶ寺 東京10番札所。
平安時代:承平年間(931-938)創建で、江戸時代:山門は寛文年間(1661-1673)(江戸時代前期)以前の建築と推定されます。

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大正時代:「将門誓いの梅」が、1922(大正11)年に「金剛寺の青梅」として、東京都の天然記念物に指定されます。

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次も小さな寺院をご紹介します。



早春の鎌倉観光 宇賀福神社:銭洗弁財天 [社寺仏閣]

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銭洗弁財天宇賀福神社
神奈川県鎌倉市佐助にある神社で、境内洞窟にある清水で硬貨などを洗うと増えると伝えられていることから、銭洗弁財天(銭洗弁天)の名で知られている有名な神社です。

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源頼朝が、巳年である1185年(文治元年)の巳の月(旧暦4月)巳の日に見た霊夢に従い、佐助ヶ谷の岩壁に湧く霊水を見つけ、そこに洞を穿ち社を建てて宇賀神を祀ったと伝えられていて、同じく巳年の1257年(正嘉元年)に、北条時頼がこの霊水で銭を洗って一族繁栄を祈ったのが銭洗の始まりだといわれる。
宇賀神と弁財天が習合して弁財天と呼ばれ、相馬天王(扇ヶ谷)の末社だった。 明治時代の神仏分離により、相馬天王は八坂大神と改称、当社も祭神を市杵島姫命とし、1970年(昭和45年)には末社から独立した。
今では、学生などの修学旅行・社会科見学の定番になっている。

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いざ、洞窟内へ。

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四方を急峻な崖で囲まれており、入り口は隧道になっている。第二次世界大戦の頃まではこの隧道は無く、現在「裏参道」と呼ばれる南側の細い参道が本来の入口であった。
本宮:市杵島姫命が祀られる。
奥宮:本宮の横の洞窟。湧き出る清水は銭洗水(ぜにあらいみず)と呼ばれ、鎌倉五名水に数えられている。
洞内には宇賀神と弁財天が祀られ、銭洗い用のざるが用意されており、参拝者はざるに硬貨や紙幣を入れて銭洗水で洗う。
上之水神社 下之水神社、七福神社の、3社の境内社がある。

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洞窟天壌には多くの千羽鶴が奉納されていました(^^)

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硬貨を洗うと財布の中で増えるそうですので、僕も洗ってみました。沢山増えるかなぁ。

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洗った硬貨に異変が!!!
出る頃には御朱印と線香代で綺麗に消えてなくなりました(^^)。まぁ、そんなもんですよ。








早春の鎌倉観光 佐助稲荷神社 [社寺仏閣]

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佐助稲荷神社
源頼朝がまだ伊豆蛭ヶ小島に配流中の身であったころ、「かくれ里の稲荷」と名乗る神霊が夢に現れ、頼朝に挙兵を勧めたという。後に、鎌倉に武家政権を築き上げた頼朝は、「かくれ里」と呼ばれるこの地に祠を見つけ、御家人畠山重忠に命じて社を建立させたのがこの佐助稲荷神社だそうです。
そのため「出世稲荷」とも呼ばれている建立時期の詳細は不明ですが、建久年間(1190~1199年)と考えられています。「佐助」という名は、佐殿(すけどの)と呼ばれていた頼朝を助けたという意味があるとも伝えられています。
2月の「初午の日」には、春の農作業開始の前に、豊作が祈願され神楽が奉納される「初午祭」が行われています。

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会社員の方や、新入社員など多くはないけど引っ切り無しに参拝客がいらしてました。

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西鎌倉駅から歩いて15分。
出世やお金に無頓着な僕には無縁ですが、出世願望の強い方、将来力強い野望をお持ちの方にはお勧めのパワースポットかもしれないですね(^^)





早春の鎌倉観光 高徳院 [社寺仏閣]

今日の鎌倉はもう誰もが知っている場所でしょう。
鎌倉といえば・・・・ 

そう鎌倉大佛様。国宝です。では、境内に入っていって見ましょう。




早速、何か山門付近が騒がしい感じでした。
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近くに寄ってみると

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なんと、山門の仁王様が建立されている所でした。

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この先、この仁王様が建立されるのなんて、何十年後、何百年後でしょうから、貴重な体験でした。

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境内案内板に沿って進みますと、すぐに見えてきます。

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高徳院(こうとくいん)は、神奈川県鎌倉市長谷(はせ)にある浄土宗の寺院で、本尊は「鎌倉大仏」「長谷の大仏」として知られる阿弥陀如来像、国宝です。
山号は大異山。詳しくは大異山高徳院清浄泉寺(しょうじょうせんじ)と言います。
開基(創立者)と開山(初代住職)はともに不詳である謎めいた寺院。2004年2月27日、境内一帯が「鎌倉大仏殿跡」の名称で国の史跡に指定されました。

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【国宝:銅造阿弥陀如来坐像】
像高約11.39メートル(台座を含め高さ13.35メートル)で、重量約121トンの巨大な阿弥陀如来坐像。
角張った、平面的な面相、低い肉髻(にっけい、頭髪部の椀状の盛り上がり)、猫背気味の姿勢、体部に比して頭部のプロポーションが大きい点など、鎌倉期に流行した「宋風」の仏像の特色を示しており、鎌倉時代を代表する仏教彫刻として国宝に指定されています。
また、後世の補修が甚大な奈良・東大寺の大仏と比べ、ほぼ造像当初の姿を保っている点も貴重である。像は衣を通肩(両肩を覆う着装法)にまとい、浄土教信仰に基づく阿弥陀像が多く来迎印(右手を挙げ、左手を下げる)を結ぶのに対し、本像は膝上で両手を組む定印(じょういん)を結んでおり、真言ないし天台系の信仰に基づく阿弥陀像であることがわかります。
像の原型の作者は不明。鋳造には河内の鋳物師・丹治久友がかかわっていることが以下の史料から判明する。久友は、文永元年(1264年)に鋳造した大和吉野山蔵王堂の鐘銘(鐘自体は現存せず)において「新大仏鋳物師丹治久友」と名乗っており、同年鋳造の東大寺真言院鐘の銘にも「鋳物師新大仏寺大工」とある。鋳造は体部が7段、頭部は前面が5段、背面が6段に分けて行われていることが、像の内外に残る痕跡からわかる。材質は通常「銅造」とされているが、正確には青銅(銅、錫、鉛等の合金)である。昭和34年から36年(1959 - 1961年)にかけて行われた修理・耐震補強工事の際、頭部内面から試料を採取して、電子線マイクロアナライザーによる材質調査が行われ、本像の金属組成は銅が少なく、鉛の含有量が多いことが判明した。採取部位によって差異があるが、平均含有比率は銅68.7%、鉛19.6%、錫9.3%となっている[6]。この成分比率から、本像の鋳造に際しては宋から輸入された中国銭が使用されたと推定されている[7][8]。なお、本像の重量(121トン)は、上述の1959年から1961年にかけての耐震補強工事における基礎データ収集の一環として、ジャッキ23台で大仏を55センチ持ち上げ、その下に秤を入れて実際に2度計量された数値の平均である[9]。鉛の比率が高いことから、像表面に鍍金(金メッキ)を行うことは困難であったと推定され、造像当初は表面に金箔を貼っていたとされており、現在でも右頬に金箔の跡が確認できる。
像内は空洞で、人が入ることができ、一般拝観者も大仏内部を見学することができる(一度に30人以上は入場できない)。内部から見ると首のくびれに相当する場所が変色している(画像参照)が、これは補強を行ったさいに塗布された繊維強化プラスチックによるものである。

鎌倉大仏殿跡(国の史跡)

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今回の鎌倉大佛様で一番のお気に入りが

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この金箔の残る表情・・・・。時代を感じます。
って、皆さんはご存知でしたか?
鎌倉大佛様は昔は金ぴかだったって。

鎌倉時代の繁栄を微かに残す大佛様の面影。


次回は関東でも有名なお稲荷様へと向かいます。





早春の鎌倉観光 光則寺 [社寺仏閣]

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光則寺(こうそくじ)は、神奈川県鎌倉市長谷にある日蓮宗の寺院。山号は行時山。旧本山は比企谷妙本寺。池上・芳師法縁。

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日蓮の佐渡配流に際し鎌倉幕府5代執権北条時頼は弟子の日朗も捕らえ家臣の一人宿屋左衛門尉光則邸の土牢に監禁したそうです。
しかし監視役の宿屋光則は日朗と日蓮を私淑する様になり、文永11年(1274年)、日蓮の放免後自邸を寺に改め日朗を開山に迎えに創建しました。
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これに先立ち文永元年(1260年)には「立正安国論」が、宿屋光則の父宿屋行時から北条時頼に建白されている。

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古木、老木が数多く存在し、神奈川名木100選にも選ばれている木があります。

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次回は、あの寺院さんです。
鎌倉といえば? 【〇〇大佛】と言うほどの代名詞にもなっているあの国宝大佛様のご紹介です。




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