京都・奈良 社寺仏閣巡り 39 元興寺 [旅行]

唐招提寺から奈良市内に戻って最初に向かった寺院が
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世界文化遺産 
国宝:元興寺
元興寺は、奈良市にある、南都七大寺の1つに数えられる寺院。
蘇我馬子が飛鳥に建立した、日本最古の本格的仏教寺院である法興寺がその前身である。法興寺は平城京遷都に伴って飛鳥から新都へ移転し、元興寺となったそうです。奈良時代には近隣の東大寺、興福寺と並ぶ大寺院であったが、中世以降次第に衰退してしまい今の形に。また、「古都奈良の文化財」の一部として、世界遺産にも登録されました。

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国の重要文化財:東門
室町時代のもので東大寺の門を移築したものでありんす。

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国宝:本堂
極楽坊本堂または極楽堂とも。寄棟造、瓦葺で、東を正面として建つ(東を正面とするのは阿弥陀堂建築の特色)。この建物は寄棟造の妻側(屋根の形が台形でなく三角形に見える側)を正面とする点、正面柱間を偶数の6間とし、中央に柱が来ている点が珍しい(仏教の堂塔は正面柱間を3間、5間などの奇数とし、正面中央に柱が来ないようにするのが普通)。内部は板敷きの内陣の周囲を畳敷きの外陣がぐるりと囲んでおり、内陣の周囲を念仏を唱えながら歩き回る「行道」に適した構造になっている。鎌倉時代の寛元2年(1244年)、旧僧房の東端部分を改造したもので、内陣周囲の太い角柱や天井板材には奈良時代の部材が再用されている。また、屋根瓦の一部にも飛鳥~奈良時代の古瓦が使用されている。ここに使われている古瓦は上部が細くすぼまり、下部が幅広い独特の形をしており、この瓦を重ねる葺き方を行基葺(ぎょうきぶき)という。

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国宝:禅室
切妻造、瓦葺。
本堂の西に軒を接して建つ。元は現・本堂も含んで東西に長いひと続きの僧房であったものを鎌倉時代に改築したものである。正面の4箇所に板扉があることからわかるように、現存部分は4区画分で、1区画には5-8人の僧が生活していたという。本堂と同様、部材や屋根瓦の一部には奈良時代のものが残っている。なお、2000年の元興寺文化財研究所の発表によれば、禅室の部材を年輪年代測定法で調査したところ、西暦582年伐採の樹木が使用されているとのことで、事実とすれば、本建物の一部には法隆寺西院伽藍よりも古い材木が使用されていることになる。
兎に角、規模のデカい建物でした。雰囲気的には法隆寺や薬師寺の御影堂に近い感じの造りでした。

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国宝

本堂
禅室

五重小塔 
収蔵庫に安置。奈良時代。高さ5.5メートルほどの小塔だが、内部構造まで省略せずに忠実に造られており、「工芸品」ではなく「建造物」として国宝に指定されている。同じく建造物として国宝に指定されている海龍王寺の五重小塔は、奈良時代の作であるものの内部構造は省略されているため、現存唯一の奈良時代の五重塔の建築様式を伝える資料として貴重である。かつては「小塔院」の建物内に安置されていたと伝えられる。一貫して屋内にあったため傷みが少ない。

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重要文化財

東門
著色智光曼荼羅図(板絵)
木造阿弥陀如来坐像
木造弘法大師坐像
木造聖徳太子立像 善春作

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敷地はさほど広いわけでもないけど、重厚感のある建造物と宝物館の品々は一見の価値が十分にある品ばかりでした。
いやぁ、世界文化遺産が日本にこんなにあったなんて無知とは恐ろしいものです。
昔、テレビ番組で世界遺産の紹介をしていて、どこかの国の木造の協会が小さな村にあるのを目にしました。その時何故だか分からないけど、凄く心に焼き付いて世界文化遺産やその類のものに惹かれるように・・・。
でも、どちらかというと世界自然遺産より世界文化遺産のい方が好きなのかも知れない(^^)

次回は旅行3日目最後の目的地に向かいます。





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