京都・奈良 社寺仏閣巡り 50 大覚寺 その1 [旅行]

遂に個人的には、最後の目的地のつもりでした。

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大覚寺は、京都市右京区嵯峨にある真言宗大覚寺派大本山の寺院さんです。
山号を嵯峨山と称して、本尊は不動明王を中心とする五大明王、開基は嵯峨天皇です。
嵯峨天皇の離宮を寺に改めた皇室ゆかりの寺院であり。後宇多法皇がここで院政を行うなど、日本の政治史に深い関わりをもつ寺院だったそうです。また、嵯峨天皇に始まるという華道嵯峨御流を今に伝える寺でもあり、入り口には多くの活花が飾ってありました。
時代劇の撮影所が多い太秦の近くということもあり、寺の境内の大沢池や明智門などは、時代劇映画やテレビなどの撮影によく使われています。

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嵯峨野の北東に位置するこの寺院は、平安時代初期に在位した嵯峨天皇が離宮を営んでいたそうです。
嵯峨天皇の信任を得ていた空海が、離宮内に五大明王を安置する堂を建て、修法を行ったのが起源とされていて、嵯峨天皇が崩御してから30数年後の貞観18年(876年)、皇女の正子内親王(淳和天皇皇后)が離宮を寺に改めたのが大覚寺であるそうです。

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鎌倉時代になると、亀山法皇や後宇多法皇が入寺し、ここで院政を行ったため嵯峨御所とも呼ばれました。なかでも、後宇多法皇は伽藍の整備に力を尽くしたため、「中興の祖」と称されているようです。
亀山法皇・後宇多法皇の系統は当寺にちなんで「大覚寺統」と呼ばれ、後深草天皇の系統の「持明院統」と交代で帝位についた(両統迭立)。この両系統が対立したことが、後の南北朝分裂につながったことはよく知られる。元中9年(1392年)、南北朝の和解が成立し、南朝最後の天皇である後亀山天皇から北朝の後小松天皇に「三種の神器」が引き継がれたのも、ここ大覚寺においてであった。
このように、皇室ゆかりの寺院であり、代々法親王が住職となった門跡寺院であるため、現在でも御所風の雰囲気がただよっている。御所跡地が国の史跡に指定されています。

この寺院で特に素晴らしかったのが、各部屋の襖絵でした。

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もっともっとご紹介して行きますが、それはまた次回。


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