ごめんなさいを言える勇気。 [ひとり言]
小保ちゃん・・・、もう隠れていても仕方ないんだから、取敢えず一度メディアで釈明するなりしないと収拾がつかないでしょう。
マウスも嘘!
画像も嘘!
論文は沢山、コピペ。
メディアには割烹着着て、ドヤ顔でリケ女を演じたんだから。
嫌いではないけど、あの時、佐村なんちゃらと同じキナ臭さを感じてたけど・・・・。
グループでしていたから、小保方さんだけが・・・とか言う人もいるけど、それでもリーダーだったんなら、責任はやはり小保ちゃんにあるわけじゃん?
どこかの人が、今の小保方さんの体調を伺うと、「小保方自身は今回の報道で相当なストレスを抱えているようです」って、言ってた。
ストレスって、何?
自分で撒き散らした種を刈り取りもしないで、ストレス・・・・って。恰も被害者的なコメントに愕然としました。
結局、この程度が小保方さんサイドにいるのだろうなと。
この際、テレビに出てきて「ごめんなさい。全部嘘でした!」って言えばいいのに。
「でも、ちゃんと耳は聞こえますし、論文はゴーストではなく、私が自分で作りました。」って、しっかりコメントすればイイのにね!!
このままだと、小保ちゃん自身が引っ込みがつかなくなって、そのうち最悪の展開になちゃうよ。
勇気を出して、ごめんなさい。その一言を云う勇気を持とう。
マウスも嘘!
画像も嘘!
論文は沢山、コピペ。
メディアには割烹着着て、ドヤ顔でリケ女を演じたんだから。
嫌いではないけど、あの時、佐村なんちゃらと同じキナ臭さを感じてたけど・・・・。
グループでしていたから、小保方さんだけが・・・とか言う人もいるけど、それでもリーダーだったんなら、責任はやはり小保ちゃんにあるわけじゃん?
どこかの人が、今の小保方さんの体調を伺うと、「小保方自身は今回の報道で相当なストレスを抱えているようです」って、言ってた。
ストレスって、何?
自分で撒き散らした種を刈り取りもしないで、ストレス・・・・って。恰も被害者的なコメントに愕然としました。
結局、この程度が小保方さんサイドにいるのだろうなと。
この際、テレビに出てきて「ごめんなさい。全部嘘でした!」って言えばいいのに。
「でも、ちゃんと耳は聞こえますし、論文はゴーストではなく、私が自分で作りました。」って、しっかりコメントすればイイのにね!!
このままだと、小保ちゃん自身が引っ込みがつかなくなって、そのうち最悪の展開になちゃうよ。
勇気を出して、ごめんなさい。その一言を云う勇気を持とう。
早春の鎌倉観光 本覚寺 ( 2/2 ) [社寺仏閣]
早春の鎌倉観光 本覚寺 ( 1/2 ) [社寺仏閣]
早春の鎌倉は初。
しかも桜の咲いていない時期っていうのも僕らしい・・。今回も寺院を廻りながら他の名所もご紹介出来れば(^^)
今回は、JR鎌倉駅から東鎌倉を廻って、一気に西鎌倉へと向かい鎌倉駅へと戻ってくる予定。
途中、お昼や海を見たいと思ってます!!
最初の寺院は
本覚寺
神奈川県鎌倉市にある日蓮宗の本山(由緒寺院)になります。山号は妙厳山で本尊は釈迦三尊像です。
身延山の久遠寺にあった日蓮の遺骨を分骨したため「東身延」とも呼ばれる寺院で鎌倉駅のから徒歩5分くらいの場所にあります。
本覚寺の北門になるのでしょうか・・・。
小さな門がありました。駐輪場側の門がここでしたので、この門から入りました。
夷堂
前身となった天台宗の夷堂は、本覚寺の創建時に境内に移されたが、明治の神仏分離令によって寺とは分離され、地区の七面大明神、山王台権現を合祀して蛭子神社(ひるこじんじゃ 「蛭子」は「えびす」とも読む)となった。昭和56年(1981年)に本覚寺境内に再び夷堂が再建された。なお、蛭子神社は現在も鎌倉警察署奥の突き当たりにある。
鐘楼
応永17年(1410年)銘の梵鐘がある。日出が木更津八幡宮の別当寺で法論に勝ち、従者に持ち帰らせたと伝えられている。
で、本堂は・・・
本堂
大正時代の建築物です。山門以外は比較的新しい建築物になりますが、ただ今修復中のご様子で(^^)
手水舎の水具。ちょいと珍しいのでUPしてみました。
日蓮御分骨堂
身延山より移した日蓮の分骨を祀られているお堂だそうです。
つづく。
しかも桜の咲いていない時期っていうのも僕らしい・・。今回も寺院を廻りながら他の名所もご紹介出来れば(^^)
今回は、JR鎌倉駅から東鎌倉を廻って、一気に西鎌倉へと向かい鎌倉駅へと戻ってくる予定。
途中、お昼や海を見たいと思ってます!!
最初の寺院は
本覚寺
神奈川県鎌倉市にある日蓮宗の本山(由緒寺院)になります。山号は妙厳山で本尊は釈迦三尊像です。
身延山の久遠寺にあった日蓮の遺骨を分骨したため「東身延」とも呼ばれる寺院で鎌倉駅のから徒歩5分くらいの場所にあります。
本覚寺の北門になるのでしょうか・・・。
小さな門がありました。駐輪場側の門がここでしたので、この門から入りました。
夷堂
前身となった天台宗の夷堂は、本覚寺の創建時に境内に移されたが、明治の神仏分離令によって寺とは分離され、地区の七面大明神、山王台権現を合祀して蛭子神社(ひるこじんじゃ 「蛭子」は「えびす」とも読む)となった。昭和56年(1981年)に本覚寺境内に再び夷堂が再建された。なお、蛭子神社は現在も鎌倉警察署奥の突き当たりにある。
鐘楼
応永17年(1410年)銘の梵鐘がある。日出が木更津八幡宮の別当寺で法論に勝ち、従者に持ち帰らせたと伝えられている。
で、本堂は・・・
本堂
大正時代の建築物です。山門以外は比較的新しい建築物になりますが、ただ今修復中のご様子で(^^)
手水舎の水具。ちょいと珍しいのでUPしてみました。
日蓮御分骨堂
身延山より移した日蓮の分骨を祀られているお堂だそうです。
つづく。
宮崎帰省 2014.2.28 ~ その8 日輪寺 [社寺仏閣]
次に向かったのがここ
日輪寺は、平安時代に天台宗の寺として開山され、鎌倉時代に曹洞宗に改められました。
菊池武時、加藤清正、細川忠利ら歴代の領主より手厚く庇護された名刹でで、昭和44年、日輪寺裏山でつつじ育苗園を造成中、古墳時代前期の竜王山古墳が発見され話題を呼びました。
長い歴史を持つ寺であるため、境内には多くの史跡があります。
菊池武時の息女了心素覚尼の五輪塔や在銘の梵鐘(1358年作)、石体観音三十三基、忠臣蔵で知られる赤穂義士のうち細川藩にお預けになった大石内蔵助良雄を始めとする十七士の遺髪を納めた遺髪塔があります。毎年2月4日の義士命日には「義士まつり」が開催されるそうです。
また春には、標高142mの裏山に3月下旬から約200本の桜、4月中旬からは3万5千株のツツジが咲き誇り、一帯は赤や白、ピンク色に染まります(品種はクルメ、ヨドガワ、サツキ)。「日輪寺公園つつじ祭り」も開かれ、花見客・観光客で大変賑わいます。
この大仏様、何故中途半端に斜めなのかは判りませんが、国道3号線を入っていると見えるくらい巨大な大仏様です。
このまま阿蘇山を抜けて、高森、高千穂、延岡を抜けて帰りました。
翌日
帰りは宮崎平野の一ツ葉有料道路の走って、宮崎空港へ。
今回の帰省は、いつもののんびりとは違って、大忙しでした(^^)
次回は6月に予定していますが、その時には、今回行けなかっ大分の宇佐か、宮崎の鵜戸神宮、宮崎神宮には行きたいなぁと・・・。
明日からは、早春の鎌倉をご紹介します!!
日輪寺は、平安時代に天台宗の寺として開山され、鎌倉時代に曹洞宗に改められました。
菊池武時、加藤清正、細川忠利ら歴代の領主より手厚く庇護された名刹でで、昭和44年、日輪寺裏山でつつじ育苗園を造成中、古墳時代前期の竜王山古墳が発見され話題を呼びました。
長い歴史を持つ寺であるため、境内には多くの史跡があります。
菊池武時の息女了心素覚尼の五輪塔や在銘の梵鐘(1358年作)、石体観音三十三基、忠臣蔵で知られる赤穂義士のうち細川藩にお預けになった大石内蔵助良雄を始めとする十七士の遺髪を納めた遺髪塔があります。毎年2月4日の義士命日には「義士まつり」が開催されるそうです。
また春には、標高142mの裏山に3月下旬から約200本の桜、4月中旬からは3万5千株のツツジが咲き誇り、一帯は赤や白、ピンク色に染まります(品種はクルメ、ヨドガワ、サツキ)。「日輪寺公園つつじ祭り」も開かれ、花見客・観光客で大変賑わいます。
この大仏様、何故中途半端に斜めなのかは判りませんが、国道3号線を入っていると見えるくらい巨大な大仏様です。
このまま阿蘇山を抜けて、高森、高千穂、延岡を抜けて帰りました。
翌日
帰りは宮崎平野の一ツ葉有料道路の走って、宮崎空港へ。
今回の帰省は、いつもののんびりとは違って、大忙しでした(^^)
次回は6月に予定していますが、その時には、今回行けなかっ大分の宇佐か、宮崎の鵜戸神宮、宮崎神宮には行きたいなぁと・・・。
明日からは、早春の鎌倉をご紹介します!!
宮崎帰省 2014.2.28 ~ その7 成田山の観音様 その2 [社寺仏閣]
前回の続きで、久留米にある成田さん久留米分院。
先ずは、観音様の足元を護るお地蔵さんたちとご対面!
可愛いものから、朗らかな地蔵さんまでたくさん。200羅漢はあったかも知れないですね。
で、一番の側近が
二対の仁王尊でした。阿形と吽形だと思います。
いよいよこの観音様の内部へと入って行きます。
ちなみにこの観音様の正式名称は【救世慈母大観音様】らしく、身長は62mで国内最大級の観音様だそうです。
内部は
このような地蔵さんや絵馬などが飾られていました。
で、多分観音様の肩付近から覗ける窓から見える風景が
こんな感じ。
まぁ、これといった風景でもなかったので、他の窓からの景色は撮りませんでした。
階段を下りると地下通路がありその先に、何かありましたが、忘れました。
その先に、地獄展がありました。ここは結構本格的でした。
で、その先に日本の歴史を人形で表現した展示ブースがあり、最後の通路に
で、出口から門扉に向かうと
観音様が真正面に見えました。
この寺院のコンセプトや展示はハチャメチャですが、この観音様の容姿は良いものでした(^^)
で、この後はまた別の大仏様へと向かいました。
先ずは、観音様の足元を護るお地蔵さんたちとご対面!
可愛いものから、朗らかな地蔵さんまでたくさん。200羅漢はあったかも知れないですね。
で、一番の側近が
二対の仁王尊でした。阿形と吽形だと思います。
いよいよこの観音様の内部へと入って行きます。
ちなみにこの観音様の正式名称は【救世慈母大観音様】らしく、身長は62mで国内最大級の観音様だそうです。
内部は
このような地蔵さんや絵馬などが飾られていました。
で、多分観音様の肩付近から覗ける窓から見える風景が
こんな感じ。
まぁ、これといった風景でもなかったので、他の窓からの景色は撮りませんでした。
階段を下りると地下通路がありその先に、何かありましたが、忘れました。
その先に、地獄展がありました。ここは結構本格的でした。
で、その先に日本の歴史を人形で表現した展示ブースがあり、最後の通路に
で、出口から門扉に向かうと
観音様が真正面に見えました。
この寺院のコンセプトや展示はハチャメチャですが、この観音様の容姿は良いものでした(^^)
で、この後はまた別の大仏様へと向かいました。