みちのく四大名刹廻廊と出羽三山を巡る旅。 1 瑞鳳殿 (1/2) [社寺仏閣]
仙台で一発に向かった場所が、伊達政宗の御霊廟が安置されている【瑞鳳殿】
境内は巨木に覆われていて流石な雰囲気でした。
程なくして階段が二手に分かれます。
こちらの坂上に仙台藩2代藩主、3代藩主の御霊廟が安置されている場所です。
最初に初代藩主の御霊廟に向かわなければいけないのでこちらの階段を上っていきます。
新緑の中を進むと、瑞鳳殿の看板が見えてきます。
拝観料を納めて最初に見えてくるのが
【涅槃門】
正面門で、この先に伊達正宗の御霊廟があります。扉の中央付近に菊紋がありますが、菊紋が皇室の御紋であるのはご存知だと思います。
秀吉が下賜されたものを正宗が拝領し家紋にしたそうです。樹齢数百年の青森檜葉を用いて消失前のものと同じように豪華な飾りが施されています。正面紋がこの規模ですから御霊廟は・・・・。
ここでちょいと雑学をひとつ。
皆さんの中に「ん? 伊達家の家紋は【竹に雀】の家紋じゃないの?」と思われる人も多いのではないでしょうか・・・。
なんと、伊達家の家紋は、十六葉菊、五七桐、蟹牡丹、竪三つ引両、竹に雀、九曜、鴛鴦の丸、ナズナ、雪に薄 等々、10種類近くもあったのですよ。
10種類近くもの家紋があるって事はそれだけ伊達家が古くから存在し伝統がある家であることの証でもあるのです。
ちなみに「竹に雀」は上杉氏に養子を入れようとしたときに頂戴したものだそうです。
伊達氏はこれらの紋をそれぞれ使い分けていたそうで、「菊」は皇室。「桐」は豊臣家、「牡丹」は近衛家、「三つ引両」は清和源氏、「九曜」は桓武平氏、「竹に雀」は藤原氏流上杉氏にというようにそのルーツはどこにでも結び付くように用いている。すなわち、戦乱の時代を生き抜く処世の証に家紋を利用していたのでしょう。その中で最も人気があり、のちに定紋となったのが「竹に雀」紋だったそうです。
誠に戦略家の家系だったのでしょう。
門を潜り階段を登って振り返ると
門全体は見えます。鶯色の屋根と朱色の柱がマッチしています。振り返って進むと
【独眼龍】の異名を持つ伊達政宗の御霊廟が安置されています。
瑞鳳殿
詳細と続きは次回。
境内は巨木に覆われていて流石な雰囲気でした。
程なくして階段が二手に分かれます。
こちらの坂上に仙台藩2代藩主、3代藩主の御霊廟が安置されている場所です。
最初に初代藩主の御霊廟に向かわなければいけないのでこちらの階段を上っていきます。
新緑の中を進むと、瑞鳳殿の看板が見えてきます。
拝観料を納めて最初に見えてくるのが
【涅槃門】
正面門で、この先に伊達正宗の御霊廟があります。扉の中央付近に菊紋がありますが、菊紋が皇室の御紋であるのはご存知だと思います。
秀吉が下賜されたものを正宗が拝領し家紋にしたそうです。樹齢数百年の青森檜葉を用いて消失前のものと同じように豪華な飾りが施されています。正面紋がこの規模ですから御霊廟は・・・・。
ここでちょいと雑学をひとつ。
皆さんの中に「ん? 伊達家の家紋は【竹に雀】の家紋じゃないの?」と思われる人も多いのではないでしょうか・・・。
なんと、伊達家の家紋は、十六葉菊、五七桐、蟹牡丹、竪三つ引両、竹に雀、九曜、鴛鴦の丸、ナズナ、雪に薄 等々、10種類近くもあったのですよ。
10種類近くもの家紋があるって事はそれだけ伊達家が古くから存在し伝統がある家であることの証でもあるのです。
ちなみに「竹に雀」は上杉氏に養子を入れようとしたときに頂戴したものだそうです。
伊達氏はこれらの紋をそれぞれ使い分けていたそうで、「菊」は皇室。「桐」は豊臣家、「牡丹」は近衛家、「三つ引両」は清和源氏、「九曜」は桓武平氏、「竹に雀」は藤原氏流上杉氏にというようにそのルーツはどこにでも結び付くように用いている。すなわち、戦乱の時代を生き抜く処世の証に家紋を利用していたのでしょう。その中で最も人気があり、のちに定紋となったのが「竹に雀」紋だったそうです。
誠に戦略家の家系だったのでしょう。
門を潜り階段を登って振り返ると
門全体は見えます。鶯色の屋根と朱色の柱がマッチしています。振り返って進むと
【独眼龍】の異名を持つ伊達政宗の御霊廟が安置されています。
瑞鳳殿
詳細と続きは次回。
2014-05-10 09:53
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