京都・奈良 社寺仏閣巡り 22 大徳寺周辺 その1 [旅行]

下賀茂神社から西へ向かう途中にあるお寺。

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大徳寺は、京都府京都市北区紫野大徳寺町にある寺で、臨済宗大徳寺派大本山であり、山号は龍寶山。
本尊は釈迦如来。
開基は大燈国師宗峰妙超で、正中2年(1325年)に正式に創立されたそうです。
京都でも有数の規模を有する禅宗寺院で、境内には仏殿や法堂(はっとう)をはじめとする中心伽藍のほか、20か寺を超える塔頭が立ち並び、近世寺院の雰囲気を残している。

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大徳寺は別院2、塔頭22を有していて、塔頭寺院においては拝観を認めているところと認めていないところが混在するため、訪問者は注意した方が良いかと・・・・。
「えぇ、見れないの?」とかいう声が多く飛び交っていましたから。

平成23年(2012年)現在、大部分の塔頭で一般参詣を認めておらず、常時拝観可能な塔頭は龍源院・瑞峰院・大仙院・高桐院の4か院である。
別院
徳禅寺
明治の初めには無住の寺になっていたので、農業試験場になったり、悪疫が流行したときには、臨時の隔離病棟になったこともあった。
龍翔寺
塔頭
養徳院
龍源院
大徳寺の塔頭の中で一番古く、仏恵大円国師を開祖として能登の畠山義元・周防の大内義興・豊後の大友義親が創建。龍吟庭・東滴壷・阿吽の石庭などの庭が知られる。方丈前の石庭は昭和末期に細合喝堂和尚の監修の元造られた。
黄梅院
織田信長が建立。蒲生氏郷の墓がある。
大慈院
立花宗茂と藤村庸軒の墓がある。
瑞峯院
大友宗麟が建立。宗教専門紙「中外日報」の創始者真渓涙骨の墓がある。
興臨院
正受院
三玄院
石田三成・浅野幸長・森忠政が建立。
真珠庵
一休宗純ゆかりの寺院で、村田珠光作と伝わる庭園(史跡・名勝)と、曾我蛇足、長谷川等伯の障壁画で知られる。
大仙院
国宝の本堂と特別名勝・史跡の枯山水庭園で知られる。
芳春院
加賀前田家の菩提寺。
龍泉庵
如意庵
聚光院
三好長慶の菩提のために嫡子・三好義継が建立。狩野永徳筆の国宝障壁画で知られる。千利休の墓塔(鎌倉期の石造宝塔を転用)があることでも知られる。
総見院
豊臣秀吉が織田信長の菩提のために建立。
高桐院
細川氏にゆかりがあり、細川忠興やその室・ガラシャなどの墓がある。その他、出雲阿国のものと伝わる墓もある。楓だけで構成された方丈の南庭が特徴的。忠興が北野大茶会の際に使用したという茶室「松向軒」、利休屋敷から移築したという座敷もある。
玉林院
龍光院
黒田長政の建立。茶室「密庵(みったん)」(国宝)が著名。有栖川宮の墓所(初代・好仁親王~七代・韶仁親王)がある。
大光院
孤篷庵
小堀遠州が建立。茶室「忘筌(ぼうせん)」(重文)が著名。
来光寺
雲林院 
松源院
もと大徳寺塔頭。廃院後、奈良県宇陀市に再興。
天瑞院(廃寺)
龍翔寺の近くにあり、秀吉の母・大政所の霊屋があった。
金龍寺(廃寺)
この寺の辺りを天狗谷と呼んでいた。
大源庵(廃寺)
維新の時に筑前の軍が硝煙庫として使用していた。

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大徳寺は多くの名僧を輩出し、茶の湯文化とも縁が深く、日本の文化に多大な影響を与え続けてきた寺院である。本坊および塔頭寺院には、建造物・庭園・障壁画・茶道具・中国伝来の書画など、多くの文化財を残している。

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大徳寺、次回へ続きます。




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