岡山、広島、香川旅行 ③ 後楽園 [旅行]
後楽園西門を通過し、最初に出てきたのは
岡山後楽園 廉池軒でした。
後楽園は岡山藩主・池田綱政が岡山郡代官・津田永忠に命じて造らせたもので、1687年に着工し14年の歳月をかけ1700年に完成したそうです。
岡山市内を流れる旭川をはさみ、岡山城の対岸の中州に位置する。藩主が賓客をもてなした建物・延養亭(えんようてい)を中心とした池泉回遊式の庭園で岡山城や周辺の山を借景としています。
江戸時代には延養亭を茶屋屋敷、庭園を後園または御後園と呼んでいた。
1871年に園内を一般開放するにあたって、これを後楽園と改めたそうです。
総面積は133,000平方メートルであり、東京ドームの約3倍である。
同園は現在、岡山県が所有管理するが、管理業務については県の外郭団体である財団法人岡山県郷土文化財団が県からの受託業務として行っているという庭です。
そんなデカい庭はどんな感じかというと
何を求めているのか、鯉が岸辺に顔を突っ込んでますよ。
で、その先に見えるのは動画で!
兎に角、デカイ!
ここからは画像を一気にいきますね。
ここで、休憩タイム。
僕は、ほうじ茶ときび団子セットにしました。
今までで一番ほうじ茶を一番美味しく飲めたシチュエーションだったかも知れないです。
で、またまた続きます。
橋の上で再会できたようです。
「おそかったなぁ~。By ラテン系で」
「ちょっと、混んでて・・・・・By 日本語で」
という会話でもしているのでしょうか・・・。
タンチョウが6羽いました。
そして、正門から出ました。
約40分くらい居たでしょうか、後楽園。
岡山城~ずっと歩いて来たので、結構長いウォーキングになりました。
で、この次に向かったのが、岡山神社でしたが、そこからはまた次回。
岡山後楽園 廉池軒でした。
後楽園は岡山藩主・池田綱政が岡山郡代官・津田永忠に命じて造らせたもので、1687年に着工し14年の歳月をかけ1700年に完成したそうです。
岡山市内を流れる旭川をはさみ、岡山城の対岸の中州に位置する。藩主が賓客をもてなした建物・延養亭(えんようてい)を中心とした池泉回遊式の庭園で岡山城や周辺の山を借景としています。
江戸時代には延養亭を茶屋屋敷、庭園を後園または御後園と呼んでいた。
1871年に園内を一般開放するにあたって、これを後楽園と改めたそうです。
総面積は133,000平方メートルであり、東京ドームの約3倍である。
同園は現在、岡山県が所有管理するが、管理業務については県の外郭団体である財団法人岡山県郷土文化財団が県からの受託業務として行っているという庭です。
そんなデカい庭はどんな感じかというと
何を求めているのか、鯉が岸辺に顔を突っ込んでますよ。
で、その先に見えるのは動画で!
兎に角、デカイ!
ここからは画像を一気にいきますね。
ここで、休憩タイム。
僕は、ほうじ茶ときび団子セットにしました。
今までで一番ほうじ茶を一番美味しく飲めたシチュエーションだったかも知れないです。
で、またまた続きます。
橋の上で再会できたようです。
「おそかったなぁ~。By ラテン系で」
「ちょっと、混んでて・・・・・By 日本語で」
という会話でもしているのでしょうか・・・。
タンチョウが6羽いました。
そして、正門から出ました。
約40分くらい居たでしょうか、後楽園。
岡山城~ずっと歩いて来たので、結構長いウォーキングになりました。
で、この次に向かったのが、岡山神社でしたが、そこからはまた次回。
2013-01-14 00:00
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